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豆魚雷のAmazing Artist Collection Vol.5/ 絶滅屋:『邪神怪獣クトゥルフ』 作者・佐藤和由さんロングインタビュー【第一回】

            

こんにちは、原田プリスキンです。

昨晩発表され、たいへん反響がありました「豆魚雷のAmazing Artist Collection」第5弾、『邪神怪獣クトゥルフ』

 

 

クトゥルフ(クトゥルー)を題材にした特撮怪獣映画が昭和時代に制作されたら? をコンセプトに、怪獣造形に精通した原型師・佐藤和由さん(絶滅屋)がクトゥルフを着ぐるみスーツ化してしまったという異色の傑作です。

 

この造形作品を制作したのは、いったいどんな方なのか?

作者である佐藤さんに、ロングインタビューにお付き合いいただきました。

数回にわたり、お届けしてまいります。

それでは、第一回をどうぞ。

※ ※ ※

 

 

 

豆魚雷・原田(以下・原田):
佐藤さんは長いこと、メーカーの社員原型師さんだったんですよね。フリーになられたのはいつからですか?

 

佐藤和由さん(以下・佐藤):
正確に言えば、一度原型師をやめたんですね。他の仕事をして一年半くらいブランクがあり、で、去年の暮れくらいからもう一度やろうと思ってまた始めました。

 

原田:
なるほど、ではそのあたりは後に詳しく。まず頭から伺わせてください、ここに至る道筋というか。どちらのご出身で、何年生まれですか?

 

佐藤:
1982年、昭和57年です。出身は山形です。

 

原田:
僕は秋田なので、隣ですね。年も僕は53年でまあまあ近い。いつも皆さんに聞くんですが、どんな子供時代でした? 趣味や造形に関して。

 

佐藤:
最初、造形というかこういう世界に入ったのは、タミヤの戦車とかからですね。スケールモデラーだったんです。

 

原田:
プラモデルなんですね、粘土とかじゃなくって。

 

佐藤:
ぜんぜん粘土とかじゃなくて。自分でイチから作るとかは思ってもいなかったです。

 

原田:
それは小学生とか?

 

佐藤:
小学、中学生とかですかね。小遣いで買える範囲の、安いやつばっかり作ってました。

 

原田:
ということは、塗装も。

 

佐藤:
最初は筆塗りで。中学生ぐらいにエアブラシを買いました。タミヤのドイツの三色迷彩とかから始めて、面白いなあと。それと、もともと子供の頃から怪獣は好きで、ウルトラマンとかゴジラは当然のごとく。

 

原田:
はいはい。

 

佐藤:
まあ大体男は、私の世代だと小学校高学年になるとサッカーでしたね。私の子供のころはちょうどJリーグができた頃で、みんなサッカー。

 

原田:
当時はすごかったですよね。

 

佐藤:
そんな中、一人ゴジラ(笑)。当時のウルトラマンだと、オーストラリアの『ウルトラマンG』とかだったりするんですけど。そんなのが好きだとばれると馬鹿にされるので、ばれないようにしてました。

 

原田:
その時点で、ゴジラとかウルトラマンは子供の流行から外れてたのか!

 

佐藤:
外れてましたね、何ででしょうね? そのときにもすでに……例えば、キャラにしてもヒエラルキーみたいなのが出来ていて。ビックリマンみたいに、流行っているものであればいいんです。ゴジラが好きとか言うと、「まだそんな子供っぽいの好きなの?」と。

 

原田:
子供の頃はそういうのありますね、確かに。

 

佐藤:
小学校の頃ちょうどレンタルビデオが始まった頃だと思うんですけど、土日は親父に連れて行ってもらって。そこでゴジラとかウルトラマンを、毎回借りてもらって見入ってました。で、スケールモデルのほうは高校生になるぐらいまでやってたと思うんですけれども、そこから怪獣のほうにシフトにしたのは転機がありまして。ちょうど『ガメラ2 レギオン襲来』(1996年)が公開された頃ですね。本屋に行ったときに、ホビージャパンの「怪獣大進撃5」っていうEX号を見つけて。怪獣だけの造形が載っている本があるというのを始めて知って、買ってずっと読んでました。ガメラの体にソルジャーレギオンが全身びっしりまとわりついてるのが表紙で、これは凄い、こんなシーンのジオラマ作るんだと思って。

 

 

原田:
僕は基本的に怪獣はそこまでわからないのですが、『ガメラ2』は本当に良いですね。当時かなり驚きました。

 

佐藤:
凄いですよね、『ガメラ2』は本当に大好きです。あれであの頃、怪獣映画に勢いがつきましたね。確かあの頃、モデルグラフィックスの方かな? 90式戦車がちょうどタミヤから出たばかりで、それに群がるソルジャーレギオンに応戦している自衛隊、みたいなジオラマも載ってて。おお凄い! みたいな。ガレージキットの存在を認識したのは、その頃じゃないかなと思います。ソルジャーレギオンのプロップがそのまま商品として出る、みたいなものもあったし。

 

原田:
ありましたね。M1号さんの。

 

佐藤:
あとはウルトラマンが好きだったので、後に関わらせていただく『怪獣無法地帯』っていうメーカーさんの記事とか。そこの怪獣がリアルで、スーツに皺が寄っているようなのがすごく衝撃的で。それまで怪獣の造形って、バンダイのビニールソフビしか知らなかったので。だからすごいショックというか、欲しい!と思って。でも値段もやっぱり高いですし、当時の高校生からすると。それで製作記事を読み漁って、「ファンド(※)って何だ?」と。

 

※石粉粘土のこと。原型制作に使用する。

 

原田:
おっ、素材の話が出てきましたね。

 

佐藤:
はい。エポキシパテの使い方が書いてあったりとか、ソフビのバリの取り方が書いてあって。

 

原田:
ホビージャパンとか、モデグラとか、そういう。

 

佐藤:
そんな模型雑誌を見始めるように。そしたら世界が広がって、「こんなジャンルの造形物もあるのかあ」とか、「こんなきれいなのを作る人がいるのか」とか。そんな感じにシフトしていって、いつのまにかミリタリーがおざなりに(笑)

 

原田:
怪獣の方に。

 

佐藤:
ファンドって何だ? って調べて、今のようにネットとか無いので、田舎に一つだけある模型屋で、「ファンドって何ですか?」って聞きました。そしたら売ってたんですよ。駅前の、シバタモデルっていう模型屋(笑)。今でもあるんですけど。

 

原田:
今でもやってるんですね、素晴らしい。山形市?

 

佐藤:
山形市駅前にあります。そこでファンドをいじってみたのが、怪獣造形の始まりですね。

 

原田:
なるほど。

 

佐藤:
丁度『ウルトラマンティガ』が始まったころで……私の子どもの頃は、ガンダムや仮面ライダーなど、結構止まっていたものが動き出したタイミングだったんですよ。それからもう少ししたら、『仮面ライダークウガ』が始まるくらいですよね。

 

原田:
特撮が盛り上がってきた時だったんですね。ファンドで何を作ったんですか?

 

佐藤:
一番最初は、ソルジャーレギオンですね。大好きで。造形的には全然ちゃんとしてなかったと思いますけど、作って自分で色塗ったのは、それが初めてです。

 

※『ガメラ2』より、ソルジャーレギオン。小型(とはいえ、人より大きい)の甲殻類タイプの怪獣で、劇中では山盛り出てくる。

 

原田:
大きさは……。

 

佐藤:
15か6センチくらいだと思います。ほんと試行錯誤で……せっかちなので、すぐ弄りたくてしょうがなくて。生乾きのときに触ってダメにしちゃったりとか。その時はまだオーブンに入れたらいいとか、全然知らなかったので。

 

原田:
とにかく試行錯誤。それを完成させたのが、高校時代?

 

佐藤:
たぶん、『ガメラ2』からしばらくした後ぐらいだったかと思います。『ガメラ2』が96年だから、高校の時でしょう、多分。

 

原田:
『ガメラ2』の影響は相当でかかったと。

 

佐藤:
『ガメラ2』は、本当に大きかった。実は平成ガメラの一作目(『ガメラ 大怪獣空中決戦』1995年)は、そこまで好きではなかったんですよね。まあ話は面白いんですけど、特撮が凄い凄いって言われてましたけど、正直そこまで凄いかなあと……。

 

原田:
それは少し分かります。特に福岡ドームにギャオスがこう降りてくるときの、翼の動きとか……。

 

佐藤:
そうなんですよ。細かく興ざめするところが。電車が落ちて、それに潰される人の描写が合成感アリアリで全然潰れてる感じがしないとか。凄いのはもちろん、凄いんですよね。確かに東京タワーとか福岡ドームとかは凄かったんですけど。こんな話をしていたら好きな人に怒られるかも。

 

原田:
僕と合わせて、あくまで個人の感想という事で(笑)。今メイキングを見ると、あの状況でよくここまでというのはありますもんね。

 

佐藤:
こんなに言うとバチが当たる(笑)。でもその辺のフラストレーションを一気に解決してくれたのが『ガメラ2』ですよね。それはもう前作の比じゃないので。レギオンの生態系をちゃんと作ったっていうのも、ものすごいですよね。北から南に向かってくる緊迫感もあって。

 

原田:
僕も『ガメラ2』が好きなので、魅了されるというのは本当にわかります。造形に話を戻すと、もうファンドを手に入れてからは作りまくると。

 

佐藤:
作りまくってましたね。ただ、手は出すんだけど、なかなか完成させられないんですよ。技術的にも、根性も、いろいろと足りなかったんですよね。今思えば、まだ始めたばっかりだったから当たり前といえば当たり前なんですけど。思うように作れない自分にイライラしてました。その頃はなんだか性格が内向きになってしまって、自分の興味も「どうしたら上手くなれるだろう?」のような、自分の中にあるものにしか無くなっていったというか。

 

原田:
それはどういうことでしょうか?

 

佐藤:
もともと人とのコミュニケーションを取るのが苦手だったのに、余計しなくなっていました。多感な時期なのに。

 

原田:
じゃあ割とクラスとかではポツンと。

 

佐藤:
浮いてましたね……(笑)

 

原田:
今の佐藤さんからは想像できない。

 

佐藤:
それこそ、映画の『桐島、部活やめるってよ』(※)の「おまた〜」って言う映画部のあの子。あそこまでいかないにしても、ヒエラルキー的にはあのくらいでしたねえ。

 

※2012年公開の日本映画。高校のスクールカーストが描写されている。「おまた〜」と発言する“武文くん”はカーストの最下層として描かれている。

 

原田:
ああっ、そうか。僕もひどいものだったので、分かりますけどね……。じゃああの映画観たときに「うわあ」とか思いました?

 

佐藤:
ゲロ吐きそうでした(笑)

 

原田:
ハハハ!東出くん(※)にはなれないですよね。

 

※東出昌大が演じる“宏樹”は、カーストの最上層として描かれている。

 

佐藤:
イケてる側には絶対行けるわけがないですよ。運動も嫌いでしたし。

 

原田:
僕らの学生時代って、運動ができるかどうかで全然違いますよね。体育の時間がいやでいやで。仮病使って休んだことも……。

 

佐藤:
嫌でしたね。体格もでっぷりでしたし。デブって言われてました。いや、運動はねえ……嫌いですよね。

 

原田:
大人って何がいいって、運動しなくても別にいい。他の連中とチーム組んでとかとかもう、それは周りから冷たいまなざしが(笑)

 

佐藤:
チームプレイが嫌でしたね。私も野球とかサッカーとか、苦手というか、やりたくなかったですねえ。

 

原田:
1対1ならまだいいんですけどね。負けても他に迷惑かかりませんから(笑)。すみません、また変な話をふってしまった。

 

佐藤:
いやいや、『桐島』の例え話がよくなかったですかね(笑)

 

原田:
話を戻しましょう(笑)。完成したソルジャーレギオンは、色まで塗ったって話でしたけども。誰かに見せました?

 

佐藤:
見せました。ちょうど完成したときに弟の友達が遊びに来ていて、その子も怪獣が好きだったらしく、実はその完成品をあげちゃったんですよね。

 

原田:
共感してもらえたことが嬉しかったのかな。

 

佐藤:
「良い!すごい!」って言ってくれたんですよ。それが嬉しかったんだと思います。もちろん怪獣好きが周りにほとんどいなかったこともありますが。

 

原田:
あとはみんなJリーグですか(笑)。

 

佐藤:
(笑)。でもやっぱりみんな運動部とか入っちゃうと疎遠になるし、やっぱり生きてる世界がちがうのかなあって、そのころから思っちゃってましたね。 

 

原田:
部活には入ってたんですか?ちなみに。

 

佐藤:
高校は生物部で。

 

原田:
生物観察?

 

佐藤:
それが、当てが外れて。意外とアグレッシブで、先生がけっこう熱い人で。外に出て草とか花の写真を撮りに行くとか。週末みんなで山行ってモリアオガエルの卵を採りに行くとかアウトドア的な、まるで山岳部のような。家で粘土弄っていたかったのに……(笑)。だから本当に、興味は自分がいかに作るとか、どうやったらうまくいくんだろうとか。そういうことに燃えていたので、コミュ症とかいう言葉ありますけど、今思うとまさにそれだなと。

 

原田:
そうなんですね。高校の時点で、造形でやっていくぞというのは決めていたんですか。

 

佐藤:
決めてました。でも当時はどこに進学していいかわからなくて……ホビージャパンの当時の裏表紙って、代々木アニメーション学院の広告がありましたよね。それを見て、ここに行こうと思ったんですよ。丁度そのとき、特殊メイクの勉強が出来る学科が代アニに出来たんです。ディック・スミス(※)とか、スティーヴ・ワン(※)とか日本のスクリーミング・マッド・ジョージさん(※)とかが講師で来てて……ディック・スミスさんと会ったことあるんですよ。

 

※ディック・スミス……特殊メイクアップ界の巨匠。代表作に『エクソシスト(1973)』『アマデウス(1984)』など多数。2014年没。

※スティーヴ・ワン……SFXアーティスト、映画監督。代表作に『プレデター(1984)』『帝都大戦(1989)』など多数。

※スクリーミング・マッド・ジョージ……SFXアーティスト、映画監督。代表作に『ポルターガイスト2(1986)』『ガイバー(1990)』など多数。

 

原田:
すごい!神様じゃないですか。

 

佐藤:
サインもらいましたよ(笑)。

 

原田:
それは本当にうらやましい。

 

佐藤:
もうここに行けば間違いないだろうと思って。進路を決めるときに、山形から東京出てきて見学にも行きました。その頃『リング』と『らせん』から和製ホラーが大ヒットしてて、和田卓也さんという特殊メイクの方が講師で、『リング』のプロップも置いてあって。

 

原田:
へえっ!それはどんな。

 

佐藤:
『リング』で、真田広之が最後死ぬじゃないですか。『らせん』で死体だけ出てくるんですよね。肋骨あけられて、内臓が全部なくなっている。

 

原田:
自分でグッとこう、体を見るやつですよね。

 

佐藤:
そうです、あれが置いてあったんです。うわっこれだ、気持ち悪いとか思って(笑)。

 

原田:
結構な衝撃を受けたわけでしょうか?

 

佐藤:
じつは正直、特殊メイクはそんなに興味がなく。2年制で、1年目は特殊メイク、2年目からメイクか造形かを選択できるカリキュラムだったんですね。

 

原田:
なるほど、では2年目狙いだったわけですね。

 

佐藤:
1年目も別に無駄じゃないだろうとは思いつつで、特殊メイクは一通りはやりました。今は全然できないと思いますけど(笑)。石膏とアルジネート(※)っていうやつで顔の型とって、とか。

 

※水で溶かし、固まるとゼリー状になる型取り用の粉状の材料。

 

原田:
アプライアンス(※)みたいな。

 

※特殊メイクで体に貼り付けるもの。

 

佐藤:
そうそう、そういうやつです。今言われて思い出しました(笑)。それを特殊メイク用のノリで顔に貼ったりとか、オールドエイジメイクとか。結構大変だったけど、意外と面白かったですね。

 

原田:
例えばそこで、「皺の作り方が勉強になったなあ」みたいなことはありましたか?

 

佐藤:
いや、全然(笑)。今思ってみても、畑違いだったのかなと思いますね。

 

原田:
素人からすると、同じ造形のことだから同じようなテクニックなのかなと思いますけど、やっぱり違うんですね。

 

佐藤:
見せ方が違ったので。同じと受け取る人もいると思うんですけど、私の中では違いましたね。サイズも違いますし。特にでかい物の見せ方には違いがあるなあと……あくまで私から見るとですが、結構ざっくりした、大ざっぱな風に見えました。特殊メイクはそれはそれで面白かったし、勉強にもなったんですけど、自分の進む道はこっちではないなと、そのとき確信しました。

 

原田:
なるほど。すみません、少し戻るんですけど。ディック・スミスが講師で授業をやったんですか。

 

佐藤:
来ましたね、ええ。

 

原田:
それは1時間だけとかですか?

 

佐藤:
2時間だけとか、一日二日とか……。

 

原田:
やっぱり、継続的に受けられるわけではないんですね。そうか……。

 

佐藤:
一年に一回そういうスペシャルゲストみたいな人が来る、って感じでしたね。

 

原田:
それはスティーヴ・ワンもそうだし、スクリーミング・マッド・ジョージさんも……。

 

佐藤:
マッド・ジョージさんには会えませんでしたね。

 

原田:
なるほど。いや、ちょっと聞きたかったもので、すみません。で、特殊メイクは自分がやりたいこととは違うなと思って。

 

佐藤:
そうですね。

 

原田:
そこで2年目突入ですか、やっと本格的に造形を学べるというところで。

 

佐藤:
いやあ……ところがどっこい、そんなにその時の経験が今に生きてないんですよ。けっこう自習が多かったので、先生がいて教えてくれる時もあったんですけど、課題を出されて、いつまでに作りなさいみたいな。放置プレイでしたね。

 

原田:
ああ、なるほど。技術を学ぶってことでは……。

 

佐藤:
テクニカルなことを勉強する、という感じではあまりありませんでした。たまにMAX渡辺さん(※)が講師で来ていて、頻繁ではなかったですが。型取りのやり方を見せてもらったり。自分で作ったものはこうして複製するんだよ、みたいな。あとは……技術的な成長はそこまでなかったですかね(笑)。ただ良かったのは、後に繋がるきっかけになったことです。実はその時、学校の方で竹谷隆之さん(※)の工房に見学に行ける機会があるってことで、行きたい人を募ったことがあって。でもそれに参加したのがクラスで3人しかいなくて。

 

※MAX渡辺さん……プロモデラー。「マックスファクトリー」代表。

※竹谷隆之さん……説明不要の、日本最強のフィギュア造形作家。

 

原田:
3人だけ?まさか。

 

佐藤:
まだホビージャパンEXの「S.M.H」(※)をやってて、バンダイのS.I.C.が始まる前か、やってたぐらいかな? いやS.I.C.のキカイダーとか、もう見てた記憶がありますね。

 

※キャラクターよりも作家にスポットをあてた、ホビージャパンの別冊模型誌。

 

原田:
だってもう、特殊メイクやりに来て、映画が好きで、造形もやっててという人にとっては大スターじゃないですか。しかし行きますと手を挙げたのは3人と。それはどうなのか。

 

佐藤:
でもアニメの(造形の)人もいたので、ジャンルが違ったのかもしれませんね。

 

原田:
ああ、そうか。

 

佐藤:
それで、当時の私はもう竹谷さんだ、凄いぞとなっていたので、工房に見学行ったらバリバリS.I.C.とか作ってて……そう、思い出しました。あの時は(S.I.C. vol.13の)クウガを作ってましたね。ホビージャパンの作例用の、蝙蝠型の怪人のやつを山口隆さんが作ってたかな? いやあ、もう緊張しました、さすがに。そこで何を話したかも覚えてないんですよね。

 

原田:
はい、はい。

 

佐藤:
そこに、参加した3人の中の1人に今もアートストーム(※)でバリバリ作ってるような方がいたり。在学中に色々な人に会ったっていうのは、大きいです。

 

※フィギュアメーカー。「フューチャーモデルズ」などのブランドを持つ。「スーパーフェスティバル」の運営も行う。

 

原田:
高校までのコミュ症だった自分ではなくなっていったわけですね。

 

佐藤:
いや、全然ダメダメなんですが……。人間的には、もうかなり。だんだん悪化しているぐらいだったかもしれません(笑)。

 

原田:
まあでも高校のときよりかは、周りのノリもだいぶ違うでしょうし。

 

佐藤:
そうですね、同じものが好きな人たちっていう意味では確かに。ただ、結構ジャンルは散ってたんですよね。怪獣好きは少なかったですよ。

 

原田:
でも怪獣とか興味なくて、どうして特殊メイク界に来るのかな。

 

佐藤:
私みたいに、二年目狙いで来る人も多かったみたいですよ。ロボット好きもいましたし、美少女を作りたいと思う人も多かったですね。あっという間に二年過ぎて、さあ社会に出るぞって時に……就職のことを全然考えてなかったんです。(笑)

 

原田:
(笑)

 

第二回はこちら

第三回はこちら

 

※ ※ ※

 

『Amazing Artist Collection Vol.5 絶滅屋: 邪神怪獣クトゥルフ』特設ページ

 

『豆魚雷のAmazing Artist Collection』特設サイト

 

絶滅屋 / 佐藤和由さんTwitter

 


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