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【第一回】豆魚雷のAmazing Artist Collection Vol.7/ 『Survival:01 Killer』 作者・大畠雅人さんロングインタビュー

            

原田プリスキンです!

 

またまた、半年が経ちました……。もう半年に一回のレーベルということにしてしまうべきか。

「作家自身が造形から彩色まで仕上げた作品を、クリックでそのままお届け」してしまう大好評のプログラム「AAC」こと「豆魚雷のAmazing Artist Collection」。

大畠雅人さんによる傑作『Survivai:01 Killer』が第7弾としてラインナップしました!

 

 

Amazing Artist Collection vol.7/ 大畠雅人: Survival:01 Killer

 

初オリジナル作品の発表から2年足らずで今や押しも押されぬ人気作家となった大畠さんに、生い立ちから今にいたるまで、そして造形についてたんまりとお話を伺ってまいりました。

 

全五回に分けてお送りしてまいります。

第一回は……造形の話がありません! が、ファンには必読の内容になっていると思います。

 

それでは、第一回をどうぞ。

 

※  ※  ※

 

 

原田(豆魚雷):よろしくお願いします。今回は本当にご参加頂けるのが正直夢のような……。

大畠雅人さん(以下・大畠):いやっ、とんでもない!

原田:いや、本当にそうなんです。黒須からも……。

黒須(豆魚雷):Twitterで大畠さんの作品を拝見して、「原田さん、すごい人見つけたよ!」って。

原田:「うん、知ってますが」と……(笑)。「俺もお願い出来るならしたいよ!」という話をしていたんです。

黒須:なので、ご参加いただけると聞いたときは「まじで?やったじゃん!」と喜んで(笑)。

大畠:いや、そんなことになっていたとは。本当に恐縮です。原田さんとは、これ(contagion girl)を作った時に初めて……。

原田:お会いしたのは、そうですね。ワンフェスで、藤本(圭紀)さん(※)と一緒にディーラーで出られていたときがファーストコンタクトでした。

(※藤本圭紀氏……Amazing Artist Collection第三弾にエントリーした造形作家。すごい人。)

 

原田:あとで知ったんですが、この「contagion girl」が大畠さんの初のオリジナル作品だったんですね。

 


黒須:あっ、これが初作品!?

大畠:そうですね。初めて作ったオリジナルです。

黒須:初作品でこれですか。

大畠:いや、ちょっとこれは恥ずかしいんですよ。やばい箇所がかなりあるので……(笑)。

黒須:どこなんだろう(笑)。

原田:初めて見た時、「あっ上手い!」って思いました。では、作品についてはのちほど細かくお聞きするとして、まずは生い立ちを聞きたいなというのがありまして。

大畠:わかりました。

原田:ふんわりとした聞き方であれなんですが、造形というものを意識し始めたのはいつですか?

大畠:やっぱり高校生くらいの時の……12、3年前くらいの、食玩ブームではないかと。

原田:大畠さんってお幾つでしたっけ。

大畠:85年生まれで、31です。海洋堂が「チョコエッグ」とか「タイムスリップグリコ」とかどんどん出してた時に、ちょうど高校生でしたね。

原田:そうか、食玩ブームが高校生か。じゃあ、原型師の存在を意識したのもそんな頃に……。

大畠:あっいえ、ただ楽しんで集めてただけで(笑)。

原田:あっ、そうなんですね。ちょっと遡りますが、子供の頃好きだった、例えばテレビや映画とかのキャラものっていうのは。

大畠:何してたかな? 子供の頃は、レゴでずっと遊んでましたね。それでBB戦士を集めたり、まあ普通の小学生。兄貴はミニ四駆をやってたけれども僕は1個しか持ってない、みたいな。周りでハイパーヨーヨーが流行ればやってましたし、普通な感じです。

原田:月並みな質問ですが、コロコロ派でした? ボンボン派でした?

大畠:それが、両方読んでなかったんですね。ジャンプは読んでましたけど。

原田:ホビー的なものに対して、特に何かすごく強い思いがあったというわけではなかったんですかね。

大畠:そうですね、うーん……どうだろう。

原田:造形に関しては?

大畠:ええと……造形じゃないんですけど、小学校3年生から油絵をやってたんですよ。

原田黒須:油絵!

大畠:近所に教室があって。細かくは覚えてないんですけど、自分でお絵描き教室に行きたいって親に言って、それで通うようになって。

原田:なにを描いてたんですか? 静物とか?

大畠:静物ですね。おばあちゃんの先生で、アトリエに行って、そこにある物を描いて。

原田:布敷いて瓶置いて、リンゴ置いて、みたいな。

大畠:そんな感じの。人形とか植物が多かったかな? 色々描いてました。

原田:自分から志願したっていうのがいいですね。

大畠:絵は好きだったんですよ、ずっと。なので小学校の時は絵ばっかり描いてましたね。

原田:親御さんがどうこうっていうのはあるんですか?

大畠:うちの両親は普通のサラリーマンの家庭で、やりたいことをやらせてあげようとしてくれてましたけど。兄貴は一切興味なくて、ずっと野球やってましたね。なので兄貴には野球をやらせてあげて、僕は絵をやらせてくれてって感じで。

原田:絵をやりたい、っていうのは「油絵をやりたい」って言ったんですかね?

大畠:えーと、何だったかなあ……そうでもないかな。絵をやりたい、お絵描き教室に行きたい、友達が行ってた、僕も行きたい。

黒須:絵が上手になりたい。

大畠:そうそうそう。そしたらたまたまそこが油絵やってるところで。水彩もやりましたけど、油絵が多かったかな。

原田:小学生で油絵って、なかなかですよ。

大畠:乾かないですからね。長いスパン見ないと(笑)。

原田:そうですね、急いで塗り重ねるとろくなことにならない。

大畠:だから今思えば、ありえないほど一枚の絵が「これで終わり?」って感じで終わってましたよ。グチャグチャってやってもう、重ね塗りとかやらずにもう埋めたら終わりみたいな、そんな感じになるんで。絵具に慣れる、みたいな。

原田:ナイフ使ってバーッとこう塗って埋めたり。

大畠:そうそう。それから小学校の時に「耳をすませば」を観て、バイオリンを習って……(笑)。

原田黒須:天沢くん(笑)!

大畠:はい。聖司くんに憧れて(笑)。中3までやってました。

原田:けっこうやってましたね。じゃあ今でも弾けます?

大畠:……弾けないと思う。絶対弾けないですね(笑)。

原田:ハハハ!ともかく、絵と音楽を両立していた時期があると。文化系ですね。

大畠:そうですね、

黒須:アーティスティックさがもう……!

原田:ねえ、凄いアート小学生。 何が好きとか誰が好きとかあったんですか? 絵で。

大畠:絵は、子供の頃は特にこの作家さんが好きとかはなくて。でもなんか、なんだろうな……酔ってたんでしょうね、自分に。

原田黒須:ハハハ!

大畠:絵が好きなんだぜ!って言いたいっていう。俺はバイオリンをやってるぜ! みたいなスカしたガキでした(笑)。小学校の時だから何もわかんないけど、(ウジェーヌ・)ドラクロワみたいなのが来たら美術館に行ったりして。

黒須: BB戦士やりながら…(笑)。

大畠:BB戦士もやるスカしたガキ! そんな感じでしたね(笑)。それで美大の油絵学科に進もうと思って、高校2年生の時から予備校に通い始めました。家も近かったし、やっぱり入るなら東京芸大(東京藝術大学)でなければと。僕、ずっと芸大志向がすごいんですよ。今でもそうなのかもしれないですけど、芸大こそ頂点みたいな……特に僕が行ってた予備校がそうで、「芸大行かないと人間じゃない!」みたいな教育を掲げてきてて。

原田黒須:(笑)!

原田:ちなみに予備校はどこですか?

大畠:ふなばし美術学院ってところなんですけど。

原田:ふなばし美術学院、そんな尖ったとこだったんですね。

大畠:尖ってましたね。講師がみんな芸大出身でしたし、芸大の話しかしないんですよ。それでまあ、「芸大入れないなんてキミ、ちょっと大丈夫?」みたいな感じで。

原田黒須:うっ。

大畠:それでずっと芸大一本で受験して、落ちて落ちて……二浪しました。そしたらもうなんか……朝「行ってきまーす」って言って電車に乗って、予備校行かずにブックオフの駐車場で座って一日過ごしてそのまま帰ってくるみたいな、病んでる時期があり。

原田:リストラされたけど家族に言えないサラリーマンみたい。きつい。行く予備校を間違ったのでは。

大畠:それこそ他の予備校、どばたに行ったり新宿美術学院(※)に行ったりする先輩方もいましたけど。夏期講習だけ別の予備校行ったりとか。僕はあんまり行っても意味ないんじゃないかなと思って、行かなかったんですよね。特に油絵科の受験って、すごく抽象的な試験問題を出されるような感じなんで。新聞紙を出されて「この新聞の記事で気になったものと、自分のイメージを掛け合わせて描きなさい」とか。

(※どはた……すいどーばた美術学院。新宿美術学院とともに、芸大・美大の受験予備校。)

原田黒須:(笑)。

大畠:空に四角いフレームが浮いてて、なんか自分で詩を書いてそれと作品を同時に描けとか。

原田:芸大の受験ってそんななんですね。厳しいな。

大畠:過去問なんてそんなもんで、それをやっても仕方ないんですよ。なにが出るかわからないし、対策のしようもないから、予備校も多少困ってたとこがあると思うんですけど。本当にその場の機転で決まるので。

原田:へええ……。

大畠:で、デッサン力を上げても、予備校では「デッサンなんて上手くて当たり前だろ」みたいなところもあって。

原田:デッサン上手いのは最低ラインなんですね。

大畠:最低ライン。それで僕は抽象画的なことばっかりやってたんですよ。

原田:そうなんだ……。

大畠:それで二回落ちて、結局三浪しようかなって思った時に、親父にそれはやめとけって言われて。じゃあ受かったところで……ってことで、武蔵美(※)に行くことにしました。

(※武蔵野美術大学。大畠さんはこう言っているが、相当な実力がないと入れない美大の難関校。)

原田:武蔵美はちゃんとその、油絵学科に?

大畠:そうですね。武蔵美と多摩美(※)に受かって、どっちに行こうかなって思った時に、やっぱりもうとにかく「芸大!」ってのが頭から離れないんです。そんな時にちょうど武蔵美の版画の第1期が出来たところで。僕1期生なんですけど、芸大から中林忠良先生っていう僕がすごい好きだった銅版画の巨匠の方が客員で来られるっていうのを聞いて。じゃあそれだと思って、武蔵美の版画科に行くことにしたんです。

(※多摩美術大学。こちらも言わずと知れた難関。)

原田:油絵じゃなくて版画?

大畠:油絵学科版画専攻。

原田:あ、油絵学科の中に版画専攻ってのがあるんだ。

大畠:が、含まれているんですね。それで銅版画を専攻してました。

原田:銅版やってたんですね!

大畠:そうなんです、言ってなかったですけどね。で……演劇を始めちゃったんです。原田さんもやっていたという。

原田:その話を前に聞いた時、驚きました。なのでその時は、共通の話題で面白かったんですけど(笑)。

黒須:演劇?

原田:そう、演劇をやっていたんですって。1年生から演劇サークルですか?

大畠:サークルで、「劇団むさび」っていうのに入りまして。学校行ってもつまんないし、芸大コンプレックスに囚われてるから「俺は落ちこぼれだ」って気持ちがあったんで……。

原田黒須:わあ。

大畠:それで作品を製作する気持ちになれなくて、それで演劇をやったら楽しくて、ハマッていったみたいなかんじでしたね。

黒須:……なんかもう、一向に原型とか立体物に繋がる気配がないですね。

原田:なかなかその話が来ない(笑)。それどころか授業受けてない感が。

大畠:ずーっと授業はギリギリで、女の子の真面目な友達に全部写させてもらって提出する、みたいな感じで。

原田黒須:(笑)。

 


大畠:大学時代は演劇をずっとやって、就職活動もせずに卒業して、ノープランで。

原田:演劇学生にありがちな。ちゃんと4年で卒業できたんですか?

大畠:4年で、単位ちょっきりで。一単位も落とさず増やさずで、ギリギリ卒業しましたね。

原田:それはそれで計画的というか、すごいですね。なかなか出来ることじゃないです。

大畠:あの、お友達がちょっといい友達で。協力して頂いて……(笑)。

原田:卒業する段階では、これからも演劇をやっていくって思ってました?

大畠:思ってました。

原田:それって、俳優ってことですよね。

大畠:俳優に。ああ……でも多分、心の底から言ってたわけではないと思いますね。なんかこう、「何をやるの?」ってみんなに聞かれると、まあ、演劇を……俳優とは恥ずかしくて言えないんですが、当面演劇をやっていこうかな、みたいな言い方でお茶を濁して。色んな劇団のオーディションに行って客演をしたり、メインでは原宿にある「コメディストア」っていう即興劇の劇団に所属して、インプロビゼーション(※)っていう即興劇を結構やってました。原田さんは即興劇ってやられたことあります?

 

(※全てをアドリブでつくりあげていく演劇舞台。)


原田:エチュード(※)なら、稽古ではやってました。苦手でしたね。

 

(※設定のみを決めてアドリブで演技をする、演劇の稽古手法。)

大畠:あれをショーにしていくっていう、アメリカのインプロ団体があって。トム・ハンクスとかもそこ出身なんです。みんな演技を勉強する人はエチュードから入って、ストーリーの基礎がわかっていくんですごい面白い。

原田:ショーにするってことは舞台の上で、本番で?

大畠:お客さん入れて。

原田:本番を即興でやっていくんですか!

大畠:即興でやるんです。

原田:度胸がいるなあ!

大畠:それの、すごい人ってすっごいんですよ! もうねホント、見せてあげたい。

原田:見た事ないですよ。

大畠:あれ見たら、多分人生を……僕もそれで多分、一回人生を狂わされたんで。もうすご過ぎて、かっこ良過ぎて。僕がその時なりたかったのは、「インプロのすごい人」だったんですよ。

原田黒須:(笑)!

大畠:とにかくかっこ良くて。インプロの凄さっていうのは、笑わせることも感動させることもできるし、お客さんもエキサイトさせるんです。なかなかライブでないと伝わらないんですが、例えばお客さんが「クシュン!」ってくしゃみしたら、そのくしゃみを即座にうまくストーリーに組み込んじゃったりするんです。

原田:すごい。

大畠:「えっ、今のくしゃみで話が展開した!」みたいな。そこからまたどんどんストーリーが膨らんでいって、最初のひとつの台詞に帰って終わるとかになると、「うっわーー!」ってなるんです。

原田:すごいなあ。演技力だけじゃなくて、恐ろしく頭の回転が早くないとできないですね。演出家っていうのは存在するんですか?

大畠:プロデューサーというのはいますけど、それはもう即興劇のノウハウ、やっちゃいけないこと、こうしたらいい、困ったらこうしろ、みたいな舞台に立った俳優を何とかするための方法を教えてくれてそれを練習するんですけど、本番は何もなし。

原田:凄すぎる。演劇にも色んな種類があるんですね。

大畠:あれは本当に感銘を受けましたね。(夢の)遊眠社(※)とかも好きでしたけど。

 

(※夢の遊眠社……野田秀樹主催による、70年代〜90年代初頭まで演劇ムーブメントを牽引した伝説的劇団。)

原田:僕はどちらかというとそっちでした。

大畠:大きな舞台でワーッとやるのも凄くてね、野田(秀樹※)さんの演劇もめちゃくちゃ影響受けましたけどね。でも実際、やっぱり憧れたのはインプロでした。

 

(※野田秀樹……劇作家、演出家、俳優。演劇界のカリスマ。)

原田:でも生活は、食べるとなるとなかなか大変そうな。

大畠:お金にはならないでしょうね……。多分、僕が感動してた即興劇の凄い人たちも、収入で言ったらそんなにないと思いますし。演劇は恐ろしいですよ。

原田:あの……お互い子を持つ演劇経験者として、自分の子供に演劇やらせたいと思います?

大畠:いやいやいや、絶対無理!

原田:ハハハ! やりたがったら仕方ないけど、できたら触れないでいて欲しいですよね。あれは恐ろしい。

大畠:うちの子供は、うちの経済状況的に言い出さないんじゃないかな。空気を読んで(笑)。家庭がちゃんとしてないとなかなかね、演劇って。

黒須:あの、ここまで色々聞きましたけども。

大畠:はい。

黒須:さっぱり造形の話が出ない(笑)。武蔵美に入ったら何か来るかなと思ったら、美術的活動をほとんどしてないんですね、在学中(笑)。

大畠:全然してない(笑)。演劇だけしかやってないですね。

原田黒須:(笑)!

 

※  ※  ※

 

第二回へ続く

 

第三回はこちら

第四回はこちら

第五回はこちら

 

※ ※ ※

 

『Amazing Artist Collection Vol.7 大畠雅人: Survival:01 Killer』特設ページ

 

『豆魚雷のAmazing Artist Collection』特設サイト

 

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